感動しちゃったらしょうがない

明日23日までの上映ということで、近所の三軒茶屋にある中央劇場へ2本立ての映画を観に行った。目当ては『テンペスト』ウィリアム・シェークスピア原作の映画化だ。これは、僕が個人的に影響を受けた映画の中でも不動の高みにある『プロスペローの本』と同じ題材の映画化ということで興味を持っていた作品。評価の高い作品らしい。僕も観ていい作品だと思った。しかし『プロスペローの本』を初めて見た時に身体を貫いた電撃のようなものは無かった。これは仕方ない。作品の優劣ではなくて僕の受け取る状態とタイミングの問題。『テンペスト』は間違いなくいい作品だった。

5分ほどの小休憩でトイレに行き、2本目の『おじいさんと草原の小学校』の上映を待つ。この作品に関しては予備知識も全く無し、事前にウェブで上映時間を確認しただけだった。上映開始を告げるベルが鳴り、本編が上映され始める…開始から2分もしないあいだに僕の目は瞬きすることも忘れてスクリーンに釘付けになった。

どの一コマを抜き出しても1枚の写真作品として成立しそうなほどに計算された画作り、テンポよく嫌味のないタイミングでのカット割り、プリミティヴな音楽構成、それらを紡ぐストーリー。すべてが美しく調和した姿がスクリーンに流れていた。普段から映画は総合的で究極の芸術の形と思っていたけれど、ここにまさにそれがあった。思いがけず目を通して僕に途切れることのない振動を与え続けるこの作品は、ほんとうの意味での感動をくれた。いわゆる“泣ける映画”みたいな陳腐な意味での感動ではなく、人生を左右するレベルの感動だ。“感情が動く”というよりも“感覚が動揺する”ような感じ。でも、ここで僕が言う意味での“感動”は誰にも等しく訪れるものじゃない。あくまで僕にとっての感動の一作だったということ。

そういう感動のしかたはもう仕方ない、その後の人生を変えてしまうようなもの。僕にとって『プロスペローの本』との出会いがその後アートへ傾倒していくきっかけになったように、今日観た『おじいさんと草原の小学校』は僕を映像表現の世界へと誘うだろう。何もかもをなげうっても求めるものに打ち込んでしまうようになっても仕方ない。感動しちゃったらしょうがない

こういうことは、受け取る人間の状態やタイミングで起こるので、この作品をもしDVDで観ていたら影響は違ったかもしれない。すべての状況が感動に結びついていたように思う。今日、この作品と出会ったことで僕は、今自分が進めようとしていること、今まで積み重ねてきたことが間違っていないと、目に見えない力で後押ししてもらったような、そんな気持ちになった。

『おじいさんと草原の小学校』は、僕以外の皆さんにもきっと素晴らしい作品に映ると思う。何しろこの、ほのぼのして腑抜けたデザインのポスターとセンスのない邦題に騙されちゃいけない骨太な生きざまを描いた作品だった。みなさんもいつか、自分だけの感動作に出逢えますように。