継続と取捨選択。それをすることに必然性はあるか。

日刊ヒデリーノ

前置き

2019年も残り少なくなってきた。今年は世間では元号が変わったり、災害や事件が目立ったように思う。自分の中では、しばらくあまり動いていなかったウェブサイト、ブログ、SNSをまた動かしていく必要を感じて年初にそのことを宣言してみた。

今年の頭に宣言したウェブ上での活動の再開というか「皆さんに見えるようになにかしら伝えていく」という自分に課した義務のようなものについて、この一年がもうじき終わる今、吟味しなおしてみる。何かを始めたり辞めたりするときに何となくではなくしっかり吟味することはとても大事だ。これをしないと何度でも適当に何かを始めてよくわからないうちに立ち消えていくことになる。そうなってしまうのは何かを期待してくれる周囲に対しても自分自身にとってもいいことじゃないと思うので今年の頭に考えていたことと今考えていることを突き合わせてみよう。

2019年はじめの気持ち

いまこの記事「2019年、ブログをまた動かそう」を読み返して、年末年始にはいつも同じようなこと考えるんだろうなと思って少し呆れてる。なにも進歩していない証拠だよこれ。

と、自分へのダメ出しの必要性を強く感じながら念のため何を考えてたのか読み解こう。

まぁ、要約すると「環境変わって生き方も変わってきてるから今まで通りにいろんなことに時間を割り振れなくなった。ウェブでの発信頻度が極端に少なくなって世間から忘れられるのが怖くなってきたから何かやらなきゃ!」ってことだと理解した。情けない…。

2019年の終わりを迎えようとしている今の気持ち

こんな記事を書いているんだから約一年前やそれまで何度も過ごした年末年始と同様、なにかしらの焦りとかできなかったことへの後悔があるのは当然なんだけど、今はそれよりも年末年始に近づくとこんな風に一年の総括的なことをしたくなる習性を利用して現状をちゃんと理解して必要なことと不要なことを切り分けてみようじゃないかという好奇心が湧いている。

よし、じゃあいい機会だから今目の前に見えているものをどう整理できるか試してみようじゃないの!

各媒体は何のためにどう利用するか

具体的に何をやって何をやらないとか今決めるのはまた同じことの繰り返しになる危険をビンビン感じるので、そういうことは何かに対峙したその瞬間の判断に任せるとして、主にウェブ媒体それぞれに対して自分の活動のなかでどんな役割を持たせたいかを確認しておくのがよさそうだ。

  • ウェブサイト hiderino.jp
    これは今までどおり、ポートフォリオとしてなにかしらの完成を得たものを掲載していく。
  • このブログ blog.hiderino.jp
    これが一番判断めんどくさい。したがって、何も決めないのが一番いいと判断。その時々で好きに使えばいい。そういうブレや揺れ動くさまも記録として面白いからね。
  • facebook(ページと個人がある)
    ページ:基本的にはフェイスブック上でページをフォローしてくれているユーザに対してのウェブ更新報告。自分の作品制作にさえたいして時間をとれない現状ではそれ以上のことは期待できないと思ってる。
    個人:ほとんどログインしなくなっているのだが、たまに開いて知人たちの投稿を観たり、散歩通勤写真をUPしたりする感じで近況報告SNS的利用になってきた。
  • twitter
    以前のアカウントはフォロワー数が2千程だったんだけど、この数字って実際とかなりギャップあるだろって感じるようになってアカウント削除。新しくアカウントを取得してみたら1割以下のフォロワーになって「だと思ったよ」と納得。Twitterを利用した新しいプロジェクト始めてみようかなとか思っていた時期もあるんだけど、そんな時間無いだろと気づいて放置気味。自分の中で最近のツイッターは以前みたいな肌感覚に近い不特定多数の人たちとのコミュニケーションツールではなくなった。距離を置いてたまに覗く感じ。
  • Instagram
    インスタにはプライベートの写真は載せない。作品制作に入るとそのプロセスを記録していくのが近年の僕のインスタの使い方。世界中の各種クリエイターたちのやっていることを覗き見る感覚で利用しているので知人や他のSNSで見知っている人たちもフォローしない事がほとんど。
  • YouTube
    パートナー規約の変更以降、何に使っていくか考えることが多いんだけど、音楽ライブ撮影をしなくなったし、YouTube向きの映像を作ることもそれほど多くないので再びパートナー契約できるほどのチャンネル登録者数まで注目を集める材料がない。おそらく今後、今再編集中の365secという動画ライフログをアーカイヴしていくのはここになるだろうな。
  • Vimeo
    いま登録しているアカウントの状態ではアップロードできる映像の本数や容量に限りがあるので、なんらかの作品として完成した映像を入れ替えながら運用していくことになるはず。
  • その他ウェブ上のサービス
    興味を惹かれるものがいくつかあるんだけど、僕はたぶんウェブ上でファン集めとかしながらビジネス的に展開していくような時間の使い方や書き物に向いていないし、いま自分が管理しているもの以外に増やさないほうがいいんじゃないかと思っている。でも、新しいものへの興味や好奇心で何かに触れてみることはあるだろうし、それを自分に禁じたりはしない。よほど相性が良くない限り長続きしないだろうことはわかってる。

2020年のはじめにもまた一年の抱負みたいなこと公言する?

どうかな?するんじゃないだろうか。しないかな?

2019年の振り返り的なことは今書いてるこの記事で十分だと思うけど、2020年ってオリンピックあるしなんとなく年代の区切り的なイメージがあるからお祭り気分で何か乗っかりたくなる気がする。でも、お祭り好きな反面天邪鬼なところもあるから、あまりに世間が騒いでいるものには興味を持たないかもしれない。最低でも今年再編集版を公開する予定だった自分の人生の映像記録365secだけはなんらかの区切りをつけたい。

といった感じに、なんとも適当な振り返りになりました。元来僕はこういう人間なんだと思います。いろいろやらなきゃという義務感みたいなものに押されて自分自身を歪めてしまいがちな傾向も強いんじゃないかな。結婚して数年、パートナーと時間を過ごしていく中で自分自身を見つめるというか、反射して見えてくるというか、まぁなんというか夫婦(というより”つがい”的な感覚かも)って面白いなぁと思っています。今日も明日も楽しく生きていきたいし、何か作ることは僕の人生において根幹とでもいうような部分で、それをしていないと生きていけないことなので自身の作品作りが動いていなくても僕は仕事の中で何かを作っています。なにかを作ることに捧げてきたような人生だけど、それが自分にとっては当然だったしこれからもそんな人生を送っていきたいですね。

つまりは必然

こうして考えてみると、自分にとって何かを作るということ自体に必然性があることがわかってきました。

しかし、それが作品というかたちをとるかどうかはまた別の問題になる。作品作りとなるとそれを作る必然性というものがまた僕自身の人生における”必然的に作る”こととは別の問いとして投げかけられるられることになる。

さて、何かを作ることによって生きている僕が、何らかの作品を作る必然性を都度自分自身に問うているというのも何か迷路のようでややこしいんですが、後から屁理屈をくっつけて必然性を持たせるようなことは全然よくないと考えているので、その作品を作る必然性をあれこれ考える時点で怪しげなものですが、何より作り始めてしまうことっていうのもまた一つの必然だったりして、禅問答のようなこのめんどくさい過程でさえもまた僕にとっては愛すべき人生の一部なのかもしれない。

まとまりませんが、今回はこのあたりで。

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